渡米のきっかけは27才の時。先にアメリカに渡り生活していた妹から、知り合いのレストランを手伝わないかとの誘いがあった。当時、東京からアメリカ西海岸までの航空券は約30万円もした。その価値は今でいう100万円くらいで、アメリカへ行くなんて夢のまた夢、といった時代。しかし、とんかつ屋で忙しく働き続けた甲斐あって、貯金があった池田シェフはすんなりと渡米を決意。オファーがあった瀬戸レストランで働くことになるが、東京からL.A.への移住は退屈で、厚い言葉の壁もあったことから、半年でいやになった。それでも様々な店を回り料理人としての自分を磨き続けることを止めず、はや人生の半分以上をアメリカで過ごしている。
寿司を覚えたのはアメリカに来てから。それまでに長い料理人経験があれども、寿司を握るには新たな技術を要し苦労があったのではないか。が、「人より早く料理の技術を身に付ける自信はある。」と池田シェフは語り、一見握りの技術もすんなりと身に付けていったようだった。しかしその言葉は、経験に加え陰の努力があってこそ言えるもの。最初のうちは家に帰ってもシャリと同じくらいの大きさになる布を使って、何度も何度も握る練習をしたと言う。自分の中で最高の寿司が完結したと思っても、店を移りいろいろな人が握る寿司を見ることによって、改めて自分の至らない点を発見することができた。そして料理の世界に踏み出し40年になる今でも、常に完結させることなく美味しい寿司を追求し続けている。