リトル東京で地元の人々に愛され続けて35年になるレストラン「大政」で、18年間シェフを努める池田英雄氏。もともと食べることが好きな池田シェフは、料理人である父を持ち自分も自然な流れでこの世界に入ったという。本格的に料理の道を歩み出したのは父親が営む中華料理店から。その後は11年間に渡って母親の兄が経営するとんかつ屋を支えることとなる。毎晩忙しいとんかつ屋で働く日々、6時や7時に仕事を終えて一杯飲んで帰るサラリーマンに憧れたこともあったが、それでも意思を変えることなく長年料理人であり続けた。
そして、今このアメリカで料理の腕を買われ、高く評価を受けるまでに至る。

渡米のきっかけは27才の時。先にアメリカに渡り生活していた妹から、知り合いのレストランを手伝わないかとの誘いがあった。当時、東京からアメリカ西海岸までの航空券は約30万円もした。その価値は今でいう100万円くらいで、アメリカへ行くなんて夢のまた夢、といった時代。しかし、とんかつ屋で忙しく働き続けた甲斐あって、貯金があった池田シェフはすんなりと渡米を決意。オファーがあった瀬戸レストランで働くことになるが、東京からL.A.への移住は退屈で、厚い言葉の壁もあったことから、半年でいやになった。それでも様々な店を回り料理人としての自分を磨き続けることを止めず、はや人生の半分以上をアメリカで過ごしている。

寿司を覚えたのはアメリカに来てから。それまでに長い料理人経験があれども、寿司を握るには新たな技術を要し苦労があったのではないか。が、「人より早く料理の技術を身に付ける自信はある。」と池田シェフは語り、一見握りの技術もすんなりと身に付けていったようだった。しかしその言葉は、経験に加え陰の努力があってこそ言えるもの。最初のうちは家に帰ってもシャリと同じくらいの大きさになる布を使って、何度も何度も握る練習をしたと言う。自分の中で最高の寿司が完結したと思っても、店を移りいろいろな人が握る寿司を見ることによって、改めて自分の至らない点を発見することができた。そして料理の世界に踏み出し40年になる今でも、常に完結させることなく美味しい寿司を追求し続けている。

朝7時から店に出て仕込みを始め、午後3時頃には店を離れる池田シェフは、実は木〜土曜日の午後はビバリーヒルズの「きらら」という寿司レストランで働いている。きららからも高い評価を受け、専属でというオファーもあるのだが、18年間世話になっている大政を辞める気はないと言う。池田シェフが語る言葉の端々にはいつも、料理だけでなくお世話になっている人々や家族を想う心遣いが感じ取れた。常に上を目指すその姿勢と・・・・、そんな池田シェフが作る心温まる料理を求め、大政は連日大勢の客で賑わっている。